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成果を見つめる

 成果とは、一体どのようなモノなんでしょうか。

こうした話をすると必ず出てくる亡霊は ”お金” という価値単位です。私たちは価値を測定しよとするトキに使っている単位としての”お金”が欲しい訳では決してありません。

 

 お金が欲しいと言っている人に「幾ら欲しい」といって返ってくるのは、老後の資金的な話で、酷いのになると「あそんで暮らせる」といったバカげた話になってしまいます。少し脱線してしまいましたが多くの人事評価て使っている「成果」とは一体どのようなモノなのでしょうか。

 

 仕事で何をすると、成果が出て報酬が高まってくると考えていますか。

出だしでコケている人は、この仕事の本質を誤解しているケースが多いのです。仕事とは仕えているコトが前提です。こんなところにあなたの好き嫌いが乗っかている筈は無いのです。それは他人資本を使って、設定された目標の実現に向かって、あなたの専門能力を使って達成しようとする行為の総称だとするものです。

 

 成果とは、目標に向かっている達成行為の損益バランス(1)と、それらを永年に渡って積み上げてきた他人資本バランス(2)が、それぞれ単独に或いは複合的に影響しあって「稼ぐ」チカラになっているかどうかを指標化したモノです。

 

 そうした資本原資の中から報酬が出てきます。ただ働いていたのではロボットの電気代と変わらない賃金コストとして報酬が決まっていきます。これはブルーワークだけではなく今ではホワイトワークにあってもロボットの電気代として報酬が決まってしまう情勢になってきています。

 

 AIのチカラを信じて疑わない一人ですが、この環境下でも能力を発揮しているロールモデルとしては17歳の天才棋士といわれている藤井聡太さんですが、上半期で7億とか9億とかの稼ぎを示しています。でも、当の本人はそういう成果ではなく自己能力の最大値を突き破る努力を楽しんでいるように見えています。

 

 目的に向かっている"塚"としての報酬は、探求の旅の費用に過ぎないのであって

目的達成を計測して指標化した成果とは全く違ったものだと確信しています。成果が価値を持っている時間軸で、たった今しかない”浪費”と、自分の生命維持をする”消費”の2つは刹那の価値です。これも必要ではありますが、より本質的な成果は、将来の自分(社会)が受け取ることができる価値の総量だと思います。 

 

 

 ロールモデルの棋士、その人が見つめている現在地としての成果を、どのように受け止めているのか、その棋士の心境を、第三者の応援者として見つめています。