オリンピックイヤー2020年が始まりました。5Gのニュースも盛り上がりに欠けていると感じるのは、オリンピックの方が話題が大きいからでしょうか。
5Gでは通信速度が非常に速くなってくるのですが、今のスマホでも速度ネックで不都合なコトは多くはないでしょう。このスピード体験は、PCのCPU処理速度が問題だったころと似ています。もう費用をかけてCPU処理の速度を追求するサービスが無くなってきというコト。消費電力を押さえて真のモバイルツールへと消費欲求が移ってきました。
通信速度がギガオーダーまで速くなってくると情報処理スピードを上回ってくるのですが、新たな価値といえば、回線キャパに余裕ができたくらいでしょう。つまりコミュニケーションツールとしてはスピード性能の欲求が減速してきた分、コストが下げれますかという消費側の欲求が加速してきます。IMT2000のマイグレーションを生んできた既存の通信戦略ではこの帯域幅を生かしたイノベーションを生まないのではないかという疑義があります。
もう一つの不都合な事実として、とうぜん周波数資源を根こそぎ使っていますので、いつでも・どこでも・だれとでも・いつまでも…といった通信の公平性は、いま以上に欠落してしまうと考えられます。
では、何のために5Gは存在するのか。
今年は、コンセプト創造です。通信領域だけでなく情報処理やデータの使い方を模索するアプリケーションの世界で、その開発資源をどのように使って行けば豊かな社会に成るのか。技術的には拡散通信技術が、そろそろ費用負担に耐えられなくなってきており、あらゆる業界を巻き込んで、新しいコンセプトを創造し、固めていく時間だろうと観てます。