耳は開かない

 多くの人前や壇上でプレゼンテーションする機会がありますが、実は聞き手の耳は開らいていないという経験を、お持ちの読者の皆さまも居られるのではないでしょうか。一般的に、聞き耳として開くタイムスロットが存在していると言われています。関心があり聞きたいと始めから準備してあったことだけが聞こえている状態です。

 

 ピッチトークは少数の話し手が、短い言葉の掛け合いを行っている状態です。
多くの結論は、楽屋落ちといった仲間内の理解の中で行われます。ここに第三者が加わることは実は難しい状態でもあります。登場してくるファシリテータ―の誘導によって、設定テーマに沿ってはいるが、話しは途切れ途切れの進行に成りがちです。

 

 エレベータートークは文字通り、エレベータに載って狭い空間・短い時間という制約の中で交わされるという比喩です。多くのケース、話し手のプッシュトークを主体として、制約された時間の話し合いの最後に聞き手の判断らしき〆があります。
(ここではイメージバトルが意図的に行われます)

 

 もう一つ厄介な事象として、長く聞くには人の生体として限界があるというコトです。
1分越で聞き耳を閉じてサジを投げだすと言っています。緊張と弛緩が操られているのですが、交渉事のパワーネゴシエイションは、緊張臨界点を理解し活用するコトはテクニックですが、日常的な話し合いに用いるコトはあまりお勧めはしません。

 

 コミュニケーション行動をコーチングしているケースで「人の話を聞きなさい」というものがありますが、実は大きな困難性を持っています。3分くらい話し続けると約々1,000字の文章に成ります。これを傾聴し内容要約を行って、「○○を〇〇する」と、自己解釈に置き換えてながら、対話を続けなさいと言っています。

 

 

 いろいろな討議場面を体験してきましたが、話が噛み合っているケースは少なく、自己主張の言い合いに成っています。日本人の文化的背景の中に、こうした様相は忌避されますので、ネガティブイメージを互いが抱いて終わりになることが多いと思います。話し合いを行うことは共感が得られていなければ、実は成立しないという原理を理解したいものです。